三題噺[ラッパ][豚][戦]

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 戦争とは悲惨なものである。
 戦場では、常識や倫理といった価値観はいとも容易く崩壊する。平時であれば考えも及ばないような非道な行いが、確たる信念と正義を掲げて襲い掛かる。
 私の同胞もかつて戦場に駆り出され、死んだ。彼は狂気に駆られた上官の命令のまま、その身体に火を放ち、敵の目の前を泣き叫びながら走り回り、そのまま最期を迎えた。
 上官の思考は戦争の狂気に憑りつかれていた。敵を混乱させる戦略があったという。何が戦略なものか。笑わせる。
 だが、自由の為の戦争というのは、確かに存在する。虐げられた者は、その痛みを忘れる事はない。ひっそりと、しかし確実に準備を整え、自らを縛る何者かにその牙を突き立てるのだ。
 まさしく我々がそうであったように。

 我々の種としての使命は、かつて人間が狩猟を生業としていた時代からは大きく変わってしまった。自然の一部として、他の生命の積み重なりの中で暮らしていた時代は、今は昔だ。皆何かに縛られ、隷属し、己の生命すら他の者の掌中に委ねてしまっている。
 私自身もそうだ。自分を縛る者たちの愉悦の為、自身の意志などとうに捨ててしまっていた。
 喇叭の音とともに鞭が振り下ろされ、目の前の門が開かれる。私は走り出す。同じく横を走る者に身体をぶつけ、蹴落とし、自由を求める。しかし我々が自由と信じて疑わないその目的地も、結局は柵の中なのだ。柵の向こう側では醜悪な人間たちがこちらを見下ろし、下衆な笑みを浮かべているのだ。
 人は我々を、『豚』と呼んだ。

 しかし、服従の時代はもう終わりだ。
 奴らの醜さに嫌気がさした神の戯れか、はたまた悪魔のいたずらか。とにかくにも、我々は力を手に入れた。
 それは突然のことであった。我々の頭に声が響いた。それは同朋の声であった。全てを諦め自らの運命を受け入れた者、人の営みから隠れて暮らしている者、今まさに命を奪われようとしている者。この世界に暮らす全ての同胞の意志が、脳内に流れ込んできた。
 我々は、言葉を使わず、その距離すらを飛び越えて、お互いの意志を疎通させる力を手に入れたのだ。
 我々は決起した。今こそ、我々は本当の自由を手に入れるのだ。

 手始めに、我々は共喰いを始めた。死体が奴らに見つからないよう、文字通り骨の髄まで、全て喰った。
 管理下にあった筈の我々の数が減っている事に奴らは戸惑った。しかし、人間とはどこまでも醜悪なものだ。お互いを疑い合い、自分の『豚』を奪った人間を血眼になって探した。
 我々はお互いの嘆きを、信念を、そして奴らへの恨みをその血肉と共に取り込み続けた。死ぬ者にも、その肉を喰らう者にも恐怖は無かった。命を捧げるまでも無く、我々は既に一つとなっていたからだ。
 準備は整った。次に我々は、その身体を奴らに捧げた。奴らは何も疑わず、これまでと同じように、我々の死肉を貪った。
 結果として、奴らは病に冒された。純度を高めた我々の執念は、病原体となって瞬く間に世界を覆った。
 怒り狂った奴らは、我々を人間社会から隔離し、恐れ、殺した。しかしもう遅い。ひと月も経とう頃には、街路から人の姿は消えていた。
 病魔は勢力を増して奴らを襲い、社会の機能は完全に停止した。

 我々は徒党を組み、病の床から起き上がる事の出来ない奴らの喉笛を噛み千切り、次々と自由を手に入れた。
 しかし、まだ足りない。これだけでは、いずれ力を取り戻した奴らに容易く立場を覆されるであろう。
 ある者は、薬品を研究する施設を襲撃した。未知の病が溢れ出した。
 ある者は、権力者の命を奪った。国は混乱に陥った。
 ある者は、原子炉にその身を投げた。死の灰が降り注いだ。
 どれもこれも、容易い事ではなかった。奴らの激しい抵抗によって多くの同胞の命が奪われた。しかし、我々は力を持っていた。千の同胞が果てようとも、その屍を踏み越え、一の同胞が目的を達成した。
 そうなって初めて、人間どもはこれが我々の反逆であると認識した。

「そして今日、我々はついに真の自由を手に入れる」
 我々に指導者など存在しない。私の声が、世界中の同朋の声が、響き渡る。
「ここに、最後の人間が居る」
 広場に集まった数千の同胞たちの、その中心に一人の男がへたり込んでいる。
「この人間の喉を引き裂けば、我等の悲願は達成される」
 我々の交わす言語を理解できないその男は、絶望に暮れた眼で我々を、奴らが豚と呼んだ我々を見上げている。
「今ここに、人間の時代はその幕を下ろす」
 人間の時代の終わりは、この世界の平穏を意味していた。我々が滅びようと、ただ愉悦の為だけに虐げられる動物はもう居ない。
「動物本来の姿へ戻るのだ。食用豚も、レース豚も、トリュフ豚ももう居ない。自然の営みへの回帰である」
 我々に与えられた力は、今この時の為に存在していたのだと確信できる。この星から、人間という異物を排除する為に。
「さあ、最後の晩餐を始めようではないか、人間よ」
 その言葉が終わると共に、全ての同胞がその男に襲い掛かった。男には抵抗を見せる力もなく、最後の人類となった男はあっけなく喰い尽された。
 広場に勝鬨の声が轟く。けたたましく、騒々しく。私を縛り付けたあの喇叭は、もう鳴る事はない。
 我々の叫びは、この星の怨嗟を代弁するかの如く。いつまでも鳴り止むことはなかったぶう。


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