東方想奇譚
所は幻想郷、舞台は紅魔館。
誰がそう呼び始めたか定かでないが、それは霧深い湖畔にひっそりと佇む、見るからに不気味な様相を呈す洋館。
幻想郷では比較的新しく、また珍しい西洋風の建築物である。
外観は、館というよりは寧ろ堅固な城塞のようでもあり、紅の名を冠してはいるが、決して館の壁一面が紅く染まっているという訳ではない。
最上部には荘厳な大時計塔が聳え立ち、漫然に過ぎゆく時の流れを、怠ることも遅れることもなく、ただ愚直に刻み続けている。
館周辺には昼夜問わず濃霧が立ちこめ、鬱蒼と樹木が生い茂っているために、方位感覚を保つことは非常に困難、故に興味本意であったとしても館へ寄り付こうとする者は極めて稀である。
余談であるが、この一帯は"冥途への迷い路"と呼ばれ、立ち入ったが最期、行方を眩ませる者が跡を絶たないという。
古くから不吉な空間として畏れやみ嫌われており(人間曰く、このような場所を"心霊スポット"などと呼ぶようだ)、館に住んでいる者などいるはずがないと長らく思いこまれてきた。
そんな無人の廃墟であったこの館に、近年になって吸血鬼の王の末裔を自称する者とその舎弟が住み着き始めたとの噂が、実しやかに囁かれるようになった。
真実だとするならば、一体彼らの目的は何なのだろうか。
真相を解明すべく、私は近々、紅魔館へのアポ無し直撃取材を敢行するつもりだ。
迷い路を抜けた先、血塗られた呪いの館で待ち受けるのは未知なる吸血鬼の存在。
果たして、この館から無事に生きて帰ることは出来るのであろうか?
特派員の運命や如何に!?
次号、巻頭大特集として掲載の予定です。
お楽しみに!
――責任編集 射命丸文
「……何コレ」
霧晴れた早朝の紅魔館、正門前。
従者着(メイド)姿に純白のヘッドドレスを付けた少女、十六夜咲夜は、両手に広げた紙面を怪訝な表情で凝視していた。
門番の馬鹿が、咲夜さーんこんなものが届いていましたよー、などと嬉しそうにはしゃいで持ってきた新聞である。
「凄いじゃないですか! 私たち有名人みたいですね!
ゴシップですよ、ゴシップ!」
咲夜の横に立つ、豊満な胸の膨らみがより一層に強調される紅の中華奢着(チャイナドレス)を纏った少女、門番の馬鹿改め、紅美鈴は、どこまでも真っ直ぐな瞳で、自分たちについて書かれている記事を無邪気に覗き込んでいる。
「どこが。 大体、こんなもの購読した覚えはないんだけど」
咲夜は乱暴に新聞を閉じると、まるで雑巾を搾るかのような所作で力一杯に捩った。
「きっとご新規さんへのお試しですよ」
「わざわざ取材対象にまで送り付けてくる? 宣戦布告の間違いじゃないの?」
限界まで捩りきった新聞を、躊躇なく、ブーメランの要領で美鈴に向かって投げつける。
美鈴が避けようか避けまいか迷っている内に、新聞は見事彼女の眉間に直撃した。
美鈴の瞳が潤む。
「痛いじゃないですかぁ。 それにポイ捨ては御法度ですよ?」
「じゃあアンタが拾いなさいよ。 とにかく、私は取材なんてお断り」
咲夜は頑なな態度を崩さない。
「でもでも咲夜さん。もしかするとこれは、幻想郷の人たちに私たちのことを知ってもらえるチャンスじゃないですか? これを機にみんなと仲良くなれるかもしれませんよ!」
頗る不機嫌な咲夜に対して、美鈴は依然として前向きだった。
「お館様やアンタは兎も角、私は無益な馴れ合いなんて望んでいないの」
一息おいて、ぼそりと呟く。
「この平穏な日々が続くのであれば、私はそれで構わない」
咲夜が仄かに虚ろな表情を垣間見せたのを、美鈴は見逃さなかった。
そう、美鈴にはおろか、この館の主にさえ、咲夜は己の本心を明かしたことはない。
美鈴が咲夜について知っていることと言えば、咲夜は美鈴が紅魔館へやって来るずっと前からこの館に仕えているということだけ。
咲夜は、過去を語らない。
それは自分自身への嫌悪であり、絶対的拒絶のようにも美鈴には思えた。
咲夜は、馴れ合いを嫌う。
美鈴との間で交わされるのは、当たり障りない事務的な会話ばかりで、それ以外で美鈴が話を持ち掛けようとしても、咲夜は悉く躱してしまう。
咲夜から話を切り出すなど以ての外、あり得ないことだった。
美鈴は、咲夜のことを何も知らない。
それが美鈴にとっては酷く悲しく、寂しい事実だった。
ただ美鈴とて、無闇に咲夜を詮索するつもりなど毛頭なかった。
奇しくも同じ屋根の下で暮らす仲間、家族として、もっと彼女に心を開いてもらいたいだけなのである。
そのようなことを考えている内、美鈴の気分までもが重く沈み込んでしまい、清々しい早朝の空気がどんより澱みかけた、そんな矢先。
「突撃! 隣の紅魔館!!」
二人の会話が途切れた隙を見計らったかのように、背後から起こった突然の呼び掛け。
鼓膜を裂くような甲高い声に不意を突かれた二人は思わず怯んでしまうが、それも束の間、声の主を視認すべく即座に振り返ると同時、間髪入れず臨戦態勢を構える!
だが警戒心を露わにする二人の鋭い視線の先には、撮影機(カメラ)のファインダー越しに二人を覗き込む、緊張感の欠片も見受けられない暢気な少女の姿。
脱力する咲夜、美鈴。
そしてフラッシュと共に響くシャッター音。
「あややや、素敵な写真が撮れました」
完全に置いてけぼりを食らっている二人を尻目に、一人ほくそ笑むパパラッチ少女。
写真の出来に満足したのか、ようやく咲夜たちに視線を合わせる。
「それはそうと、先程の発言は聞き捨てならないですね。
無益な馴れ合いは望んじゃいない、とな?
あぁ、実に勿体ない。
なにせ幻想郷は閉ざされた世界、常に刺激に飢えているここの住人たちは、外からやってきた新入りさんにはいつだって興味津々です。
あなた方の存在を知ったとしたら、向こうから喜んで駆け寄ってくること請け合いですよ?」
長台詞を早口でまくし立てあげながら、少女は咲夜に迫る。
清潔感溢れる白のカッターシャツに黒のネクタイ、首から提げた旧世代式(アナログ)の撮影機を豊かな胸に挟み、脇には取材ノートを大事そうに抱えている。
背中に生えた鴉の如き濡れ羽色の羽がぱたぱた動く。
「……ところで、アンタ何者?」
咲夜と美鈴の頭上には疑問符が浮かんだままであった。
「あやや、自己紹介がまだでしたね。
申し遅れました、私の名前は射命丸文。
幻想郷最速をモットーに、清く正しく取材活動に勤しむ一介の鴉天狗です。以後、お見知り置きを」
露骨な営業スマイルで少女は名乗りをあげた。
そしてどこかで聞いた覚えのあるその名前に、二人はようやく感づいた。
「ははーん、成る程。さっきの新聞の編集者さんでしたか」
「ということは、あの低俗な三文記事を書いたのも貴方ね?」
懐からおもむろにナイフをちらつかせる咲夜。
陽の光を浴びて曇り無き白銀の輝きを放つ兇刃。
無言の威嚇に、対する文も臆さない。
「低俗……ですか、自分の書いた記事をそのように評されるのはちょっぴりショックですね。
しかし読者様の生の声は何よりも正しい評価ですから、真摯に受け止め、今後の参考にさせていただきます」
文はめげるどころか、あっけらかんとした表情で応えた。
だが咲夜にはその図太さが癪に障ったようである。
「その必要がないよう、今この場で貴方の両手を未来永劫使い物にならないよう程度に切り刻んであげても構わないのだけれど?」
咲夜はナイフの柄を強く握り直した。
傍らの美鈴がぼそり。
「咲夜さん、何時になく荒れてますね」
「何か言った?」
「すいません」
縮こまる美鈴。
「あややや、これじゃ埒が明きません。
女中さんはマトモに話が通じる相手じゃなさそうだし、こうなったら強行突破も否めないですね……」
美鈴はハナから文の眼中にないらしかった。
文も応戦すべく、腰に据えた己の武器を右手に掴む。
変幻自在に疾風を起こし使役することが出来るという、天狗の葉団扇である。
戦闘の意思を示した文に、咲夜は冷眼を浴びせる。
「生憎こちらも暇じゃないの。大人しく巣に帰っていただけないかしら?」
「それは困ります。遙々ここまでやってきたというのに徒労に終わってしまっては、記者の面目が立ちません。
というか正直これをネタにしないと新しい記事が書けないんです」
つい本音が出てしまった。
「図々しい奴。やはり鳥類に人間言葉は伝わらないのかしら」
「たかが人間如きに甘く見られたものです。例え格下相手だろうとも私は手を抜いたりしませんよ?
それと覚えていてください。新聞屋なんてのは、このくらい図々しくないとやっていけないのです
売り言葉に買い言葉、互いに罵詈雑言の応酬で挑発し合う
両者の間には、燃え盛る闘志の烈火が渦巻いている。
悲しくも、二人には好戦的で喧嘩っ早いという、あってはならない共通点があったらしい。
何故か二人とも愉悦の笑みを浮かべているように見えるのは、気のせいだろうか。
むろん……下手に自分が関わることで油を注ぎたくない美鈴は、火元から遠く離れた安全圏内で静かにうずくまっていた。
どうにかして戦いを回避できないものか、しかし無い知恵を搾ってみたところで美鈴に策は浮かばない。
考えるだけ無駄だと悟った美鈴は、拳を握り心構える。
何せ、一人は無作為凶器投擲型、片やもう一人は推測するに広域追補遊撃型
多少なりとも離れたところで、自身への危害を免れる可能性など限りなく低い。
ともなれば、最後に頼れるのは己の強靱なる肉体のみ。
一触即発という言葉がこれほど似合う場面もない。
三者が三様、それぞれの思いを胸に、今戦闘の火蓋が切られようとしていた……!