東方想奇譚

 

 刹那。
館の周囲一帯をドーム状に包囲するように巨大な魔法陣が展開。
天を奔り地を這い、四方八方縦横無尽に紡がれる紅色の紋様が幾重にも交叉し、規格外に弩級な結界式を構築していく。
その光景に、場にいた誰もが目を疑い、天を見上げ呆然と立ち尽くす。
対峙していた咲夜と文でさえ、絶句。
先刻までの世界は消失し、視界は一面の紅に染まる。
鮮血の十字架に彩られた炎穹の彼方に、煉獄の景を見る。
欠けた半円の月に六芒星(ダヴィデ)の紋章が浮かび、紅蓮の空を穿つ。
これほどまでに高度な結界を展開し維持出来うる者は、恐らくここには只一人しかいない。

「例え厚かましくも、仮に貴様は客人に相違ない。
我が従者の非礼かつ粗暴な振る舞いには、詫びの意を示そうぞ。
しかし新聞屋、早朝から仕事熱心なのはご苦労だが、些か貴様には記者たる者としての思慮が欠けているな。
吸血鬼と太陽の因果関係は言わずもがな、事実を目にしたことはなくとも旧聞に覚えはあるだろう?
かく言う私も例に漏れず、朝が嫌いだ。
そう、何よりもな。本来であれば今頃は心地よい眠りに堕ちている最中なのだからな。
安らかな一時を害した罪は、そう軽くはない。
それは承知の上だろうな、新聞屋?」
一見すると幼く見える、その体躯。
しかし重々しく響きわたる声音はあまりに見た目と不相応。
血の色に染まる双眸が大きく見開かれる。
「吸血鬼の王レミリア=スカーレットも、実に舐められたものよ」
その全身から滲み出るのは、底無しの覇気に満ちた王者の風格。
文とて、大凡千年に渡って幻想郷の移り変わりを見てきた高位の妖怪である。
だが彼女が少なからずも畏怖するに値する眼前の幼子は、紛れも無く歴とした全妖怪の頂点に立つ最上位種、吸血鬼。
「あややややや、何たる不徳。これは失礼仕りました。
 でも驚きです、まさか本物の吸血鬼、それも王に出会えるとは。それだけでもここまで出向いた甲斐がありました」
先程までの威勢は何処へ消えたのか、素直に非を認め頭を垂れる文に、レミリアは苦笑する。
「流石だな。強き者に媚び諂い取り繕うは流石、天狗のお家芸といったところか。
まぁいい、この度の不肖には目を瞑ってやる。
再度出直してきた暁には、快く取材とやらを受けてやってもよい。
今日は速やかに撤収してくれると、こちらの骨が折れることもなく助かるのだがな」
尊厳に満ちたレミリアの言葉に、文も渋々ながらもようやく屈したらしい。
「わかりました。ではまたの機会に、よろしくお願いします」
「承知」
文の諦めの言葉を聞き、レミリアは文を結界から解放。
後ろ髪を引かれる思いで、文は館を後にした。

「お嬢様、すごいです、かっこいいです! カリスマ炸裂でしたよ!」
途端にはしゃぎだす美鈴。
溜め息半分にレミリア。
「本来、ああいった輩を追い払うのがお前の役目なのだがな」
美鈴は、ごもっとも!と頷いてみせた。
「ふん、調子の良い奴め」
そう言ってレミリアは美鈴から視線を外し、咲夜を呼び寄せる。
咲夜は先程の自らの失態を悔いていた様子だったが、レミリアの呼び掛けには即座に応答した。
「さて、久方ぶりの結界で少々疲れたな。
咲夜、早いがお茶の時間にしよう」
咲夜は早足でレミリアの元へ駆け寄った。
手品のように何処からともなく日傘を出現させると、それを音もなく開いてレミリアに翳す。
二人並んだその姿は、母と娘のようでもあった。
間もなくレミリアは結界を解除、紅の世界は瞬時に何時もの光景へと舞い戻った。
「美鈴、前線の守りは任せたぞ」
「御意!」
美鈴の威勢のいい返事を聞き、牙を見せて笑ったレミリアは、咲夜を側に連れ、しかし互いに何も語らい合うことなく、静かに館へと歩いていった。
遠ざかっていく二人の後ろ姿を、美鈴はただ手を振って見送っていた。

 普段と同じで、何かが違う。
そんな紅魔館の日常はここから狂い始める。

<The lull before the tempest.>

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